出版できない随筆集

この世界は本当に面白い

食えねぇやつがやる大食い企画のここがつまらない!


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①企画の生殺与奪を他人に握らせている

 こういう類の企画は予告ツイートとしてこのような事が書かれている。

 

(※あくまでもよくあるテンプレート)

(※特定の誰かの事ではありません)

(※途中ある( )コメントは私の気持ちです)

(企画予告)

〇月×日□時から、△△(※大概小さくて1口サイズのなにか)の大食い企画をします!

いいね=1つ

RT=2つ(※こういう時RTの方が個数多いのも腹立つ)

集計は♡♡時まで!

みんな、わかってるよね?わかってるよね?!お手柔らかに頼むよ😅(※自分からやっといて何言ってんだ)

 

 

自分の企画内容なのに他人に任せているところが、いけ好かない。なぜ企画の根幹を生半可に他人に任せることができるのか。ここでつまづいていたらただ1人前を普通に食べて終わるというリスクを考えないのか。自分から引用リツイートなどして無様な姿をリスナーに見せるのか。

 

だがこのような企画は私の杞憂も虚しく、大抵よく拡散され、いいねもつく。

しかし私は以下の理由もあり、食べる量をリスナーに委ねる行為が嫌いだ。

 

 

 

②胃のキャパを知らない素人がやる行為だから

そもそも大食い企画の醍醐味とは「こんな量を短時間で1人で食べられるなんて凄い!」という爽快感を楽しむものだ。

なので、企画する(食べる)側も自分が胃の許容量で かつ リスナーを惹き付ける量(例えば唐揚げ2kgとかオムライス5人前とか)を自分から予告して挑戦する。なぜなら他人に量を決めさせて自分の許容量より多かった場合、完食することが出来ずリスナーが求める爽快感を演出できないかもしれないからだ。

 

 

一方、最近よく見かける大食い企画は、「大食い」という人気コンテンツにあやかりたい大食い実績が無いためリスナーを惹き付ける量を提示できない、胃のキャパも把握してない大食い素人配信者がTwitterで上記のツイートを行い数字の強さだけで企画実行する場合がほとんどだ。 

そして彼らは大食い企画を「苦しんでいる姿」をリスナーに見せることが面白いと思っているのでは無いだろうが??だから胃のキャパ以上の数字が来ても「企画的にうまい」と思っているのではないだろうか。

 

 

 

 

③それってシンプルにつまらなくねぇか?

 

腹いっぱいになってる人間見て何が面白い?

 

人間満腹になると「あー食ったなぁ…」しか言えなくなるし、やや暫く動けなくなる。

それが大食い素人がキャパ以上に食べてるもんなら、語彙力が低下して以下のようになるだろう。

 

 

フゥ……

 

 

キッツ……

 

 

 

 

 

フゥ……

 

 

あ、○○さんイラッシャイ

 

 

今ねぇ……

 

 

20個タベタトコロ……

 

 

 

フゥ………

 

 

ヤバ

 

キッツ………

 

 

 

もう一度言う

腹いっぱいになってる人間見て面白いか?

会話という会話もなく、虚ろな目で明後日の方向を見ながらチビチビと不味そうに食べてる人を見たいのか?

 

 

ここまで話をして大食い企画をする人から

「いや!僕(私)がこの企画をしたらMAX30人は来てくれた!だからちゃんとお前以外の人間は面白がってくれるんだ!」

という意見が飛んできそうだが、果たしてそれは本当に面白いからだろうか。

 

 

そりゃ人は来るだろう。Twitterで大々的に予告してるんだから。RTやいいねした人は1度は顔を出すだろう。

 

では滞在率はどうだろうか。腹がいっぱいになってきてペースが遅くなってきた頃、リスナーは何人残っている?「ちょっと電話してくる!」「ちょい落ち!」と言って抜けていったリスナーは果たして戻ってきて応援してくれたか?進捗を見るだけ見て何回も出入りするリスナーはいなかったか?アクティブだけ置いてる様子でコメントもないし、話しかけても反応がないリスナーはいなかったか?

 

これは以前企画をよくする配信者と話したことがあるのだが、1番大事なのは瞬間最大アクティブ数ではなく、リスナーの滞在率ということだ。そりゃTwitterなり普段の枠での宣伝が上手くいっていたらおのずと人は集まる。ただ、その企画が面白くなければリスナーはすぐ見切りをつけて抜けていく。逆に面白かったら抜けずに聞いてくれる。

 

 

では、その大食い企画は果たしてリスナーを繋ぎ止めとくだけの魅力があるのか。上記にもあるように喋る内容も面白くない。そこにあるのは ただ苦しそうにしている人間だけ。

盛り上がるのは最初と最後の一瞬だけ。

だらだらと食べてるだけなんだからおのずと配信時間が伸びる。その中弛みの時間を何とかしないと、この企画は失敗だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

④まとめ

元々技術が必要なコンテンツに「人気だから」という理由で素人が介入すると、コンテンツが衰退する。こうやって大食い企画も衰退していくのだろう。

 


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SHINきゅん!大食い配信まってるよ!!

 

 

宣伝動画評論家なごみの杞憂シーズン1

最近やけに細かい事を指摘してしまう。

 

先程タイムラインにとある企画宣伝動画が流れてきた。歌枠配信者を集めて誰が審査員に刺さる歌を披露できるか競う企画のようだ。

そして今回はその参加者を発表する動画であった。

 

十二十色な歌枠配信者 此処に集結


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十二十色……恐らく「ジュウニントイロ」にあやかった言葉にしたかったのであろうか。

というのも、この動画に出てくる人物がちょうど12名なのである。となると、この文章は「人」を脱字してしまったのかもしれない。

 

ここのブログを一体どれだけの人が閲覧しているか分からないが、ここで訂正しておこう。主催者が言いたかったことは…これだ!!

 

 

 

 

 

 

十二人十色な歌枠配信者 此処に集結

 

いや、2被りしてるやんけ、歌声も個性もなにもかも丸かぶりしてるやんけ。メタモン2匹紛れてるやんけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(熱烈なフォロータイム)

ネタにしてしまって申し訳ないけど

まあ単純に「十人十色」って打とうとしての変換ミスなのかなと思います。

まあ、だとしても歌を披露する参加者は8人なので2足らずで面白いです。

 

 

枠周り旅行記~spoon編~

spoonという配信アプリで活動していた頃の話である。

 このアプリにはLIVE機能だけではなく、CASTという録音した音源をアップロードできるシステムがあった。その機能性から歌やシチュエーションボイスを投稿する人が居る中、当時仲良くしていた1人がラジオ風なCASTを投稿した。

 

彼は私のような、いわゆる「こっち側」の発言も面白がれる懐の深い人だったが、女の子にキャーキャー言われる為に配信をしている「向こう側」の人間だった。

 

再生ボタンを押す。聞こえきたのは車の走行音。数秒後…彼はスっと息をつき、いつもより低い声でゆっっっくりと喋り始めた。

 

「こんばんは…今日は…いつもと……雰囲気を……変えて…高速道路の背景に……(spoonはアイコンとは違う配信画面を設定することができます。)……車の音を……BGMとした…隠れ家的な放送を……お届けしたいと……思います。」

 

 

 

 

 

 

いや、どんな所に隠れ家建ってんだよ。高速道路だぞ?立地条件的にサービスエリアだろうが。

 

 

結局このCASTは15分以上あるが、冒頭の20秒しか聞けていない。そして、その時の私はこの後彼が起こす「イマジナリーディズニーランド事件」について知る由もなかったのである……。(続く)

 

 

 

 

【再掲】「ビーフorチキン?」は いい質問

(再掲の経緯)

昨日、とある配信者の枠で凸待ちをしていた。リスナーが1人ずつゲストに上がり枠主とお喋りをする その中で1人の少年がゲストにあがり枠主に質問を投げた。

 

「愛とお金、どっちが大事だと思います?僕は愛だと思います。」

小学生特有の舌足らずな声から発せられた生きてく中で一度は考える人生の課題、そして根拠の無い結論。 

 

その独特な空気感がウケたのか、少年の後に上がってくるリスナーの数人は彼が投げかけた質問に対してふざけながら、おちょくりながら答えていく。

 

ふと、思い出した。「そういや3年前に同じようなこと考えて結論出したなあ。」

 

以下の文章は当時の私が書いた「愛かお金か」への結論だ。

おい!クソガキ君!見てる~?

 

かんじ  が  わからなかったら、 パパ  かママ  に  きいてみてね!

 

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「お金と愛どっちの方が大事だと思う?」
「付き合うなら外見と中身どっちを重視する?」
こういった類の質問は嫌いだ。

嫌いというか「なんでそんなナンセンスな質問をできるんだろうか」と心底不思議でたまらない。

 

「お金」と「愛」

「外見」と「中身」
なぜそれらを別物だと捉え、比べるようなことをするのだろうか。決して別物ではないだろうに。

 

「お金と愛どっちの方が大事だと思う?」
私の理屈からだとお金は愛だ。だからその質問には上手く答えられない。言うなれば「ご飯とライスどっちが好き?」と聞かれているのと同じ。

 

お金は愛だ。正確には
「 愛を伝えるには金が必要だ」と私は思う。

 

 


2つ例をあげよう。

AKB48の総選挙
とあるアイドルがこう言った「投票数は愛です。」…ならばその投票権はどのように得るか。CDを購入することになる。

 

 

 


24時間テレビ
テーマは「愛は地球を救う」
では、この番組では地球を救うために何を行なっているのか?募金活動だ。

 


以上の事からお金は愛だと考える。

「お金なんていらない。愛があれば幸せだ。」

違う。お金は愛だ。愛はお金だ。
想い人に「好きだよ。ずっと一緒に居よう」と囁いていたら人間酸素だけで生きていけるか?
そんなわけが無い。食べ物だって着るものだって住まいだって必要だ。

お金とは目には見えない感じ取るには難しい「愛」というものを相手に伝える一種のツールだ。

 

古いセリフだが「給料3ヶ月分の婚約指輪」私の理論はこれに尽きる。(むしろ何故何文字も使って説明していたのだろうか。文章が下手なのがバレてしまう。)

 

 

 

タイトルの話になるが
ビーフorチキン?」これはいい質問だ。というより正しい“WHICH”の使い方が出来ている。「牛」と「鶏」のように異なるものを選ぶためにある「お金」と「愛」を無理にでも区分化し優劣をつけようとする“WHICH”の質問。モヤモヤしてならない。

 

 

 

 

「付き合うなら外見と中身どっちを重視する?」

このことについては以前配信で話している。
是非そちらを聞いて欲しい。しかしせっかくのブログだ。一言だけ。
「外見と中身で一人の人間。どうしてそれらを区分する?」

 

 

 

 

結局自分の配信の宣伝をする欲深く浅ましい、知識の薄い、1番ナンセンスな彼女の名前はなごみでした。

 

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当時使っていたアプリはspoonだが、おそらくアカウントは消してしまっている為、聞くことはできないだろう。

 

それにしても3年前の私意外と文章書けてるな。

枠周り旅行記~イケカテになりたいラジオ編~

「イケカテになりたいラジオ」を聞いた。

 

【概要】

夜鷹・MIYA・こーきの3人による毎週金曜日23:00から開始する人気企画配信。毎回ゲストを呼び、リスナーから「イケカテ」についての質問、セリフ、ゲームを募集して1人ずつ実践する番組。ゲストを深掘りするような質問も来ないので、大体はシチュエーションボイスコーナー化している。基本的にすべり芸なので「えーんこんなことしたくないよ~」「えーん怪我しちゃったよ~」だけ言っている。セリフが終わった後に嵐のLove so sweet、ドリフの後片付けBGM、YouTuberがよく使う「チーン」を流しとけば笑いが起きると思ってる節があるので多用しすぎている。

 

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【本題】(唯一笑ったシーン)

リスナーからのリクエストで

「無茶ぶり」でイケカテ風あいうえお作文をしてください

というお題が届いた。

 

MC陣の1人が息を1つ付いて始めた。

 

「無茶ぶりの『む』~!《 …無茶しないで?》」

 

おい、無茶ぶりのあいうえお作文で「むちゃ」を使うのはレギュレーション違反だろ。失格、反省しろ。

【無念】笑王でやりたかった事リスト

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📣📢企画告知📢📣

3月5日 土曜日 pm21:00 start📡
場所👀”じろー枠

【HAKUNA笑王】

☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆

大喜利
★ものまね
★すべらない話
★替え歌

1番面白い人が決まる‼️‼️
ただ、幸せで笑える時間を

#HAKUNA笑王
#みんなでわらおう
#共に笑おう
#拡散希望 

(引用先:企画者Twitterアカウント)

👀”じろー (@jiro_chann_daa) | Twitter

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こちらの企画、わたくし出演してません。

なんでぇ?!

いや、この告知ツイートがされる前から「面白い人を決める企画がある」というのは知っていたんですよ。「こりゃあ、あーしの出番ですねえ~」と唇をひと舐め。私は黒いビブスを装着し2000冊あるネタ帳からどれを使うか悩みながらオファーを待ち続けていた。

 

ほんだらよぉ!!

出演者が公開されたと思ったら「なごみ」の「な」のないじゃ~ありませんか!

 

何かの間違いかと思い急いで企画運営者に直談判。まったくもって間違いはないらしく、温かい大人の遠回しの「お前はいらねぇ」という言葉を浴びた。

 

なんでだよォ……だってこんな逸材居ませんよ?

私はトーク力を競う企画で1位になった女ですぜぇ?(2年前の話)

大喜利力を競う企画にオファーされたことがある女ですぜぇ?(風邪を拗らせドタキャン不参加)

 

くそ……無念すぎる。

モノマネも替え歌もやった事ないから経験してみたかった……。「面白さ」を競う企画で1位になって肯定感を上げたかった……。なんでだ…どうしてなんだ……なんで呼ばれない……。

大喜利ならちょんすぅに負けたことないのに!!!!!!!!

 (⚠こちらの記事には特定の人物をいじる表現がございます。ご注意ください。)

 

と、このまま絶望していたらオモロー特化型の鬼舞辻無惨が、私をオモローに餓えるキショ鬼にしてきてもおかしくないので、笑王でやりたかった事を書き起こし昇華していこうと思う。こんな鬼、炭治郎ですら可能な限り痛く斬る。

 

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【やりたいことリスト】

❶意気込みコメントにて

「そうですねー。大喜利は結構経験あるんですけどモノマネとか替え歌は触れたこと無いんでちょっと不安要素ですね。ただ、どんなお題でも自分貫いて楽しくやらせてもらいますわ。」

 

いや、それ復帰ツイート直後にツイ消ししたSHINやんけ!!!!!!!!!!!

 


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このツイートすら貫けてないやんけ!!!!!!

 

 

 

 

 

❷替え歌にて

 

ひまわりの約束秦基博

♪どうして   君は    泣くの

また  僕は   戻る   予定   なのに

 

いや、これ感動の引退枠からたった4ヶ月後に戻ってきたSHINの事やんけ!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

❸モノマネにて

 

「「決意」のモノマネしまーーす。

突然の連絡になりますが、10月2日21:00の配信をもってHAKUNAでの活動を終了することになりました。(中略)1年少しの初めての配信世界。充実してて楽しかったです!お世話になりました!

 

いや、これ【ご報告】という名でツイートされたSHINのメモ帳やんけ!!!!!!!

 

 

 


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ほんでもって結局戻ってきてんだから「決意」としても「モノマネ」としても破綻してんだろ!!!!!!!!

 

 

 

 

「続きまして~~モノマネしまーす。」

(おもむろにビデオ配信にして、ベットに横たわる。右腕を横に伸ばし、顔は腕の方向に向ける。目をそっと閉じ、最後に用意していた女を隣で寝かす。)

 

 

いや、これ引退前に1日だけやってたSHINと いの姫のペア画のモノマネやんけ!!!!!!!!!

 



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こんなもんだろうか。後は「誇張した○○」とか言って対戦相手の恥ずかしいギフトコメントをいじってやろうかとか考えていた。(このアイデアパクってもいいですよ。)

 

ともかく私はこのネタを3人居る審査員の1人であるSHINにぶつけて、常に2-1で勝ち進んで優勝する気でいた。

 

 

最後に、この記事を書いていて分かったことがある。そらこんな奴企画には呼ばない。

 

企画主からしたら私の存在はテロリストみてぇなもんだ。枠をぐっちゃぐちゃに掻き乱すことだけを考えてる人間なんか出演者に居たらダメだ。

 

 

ただ私は止まる訳にはいかない。

こんな私の事を好きでいてくれる人、発言に注目している人の為に大きな舞台で自分を発信しないといけないのだ。歩みを止めてはいけない。突き進むしかない。そう、十字架を背負いながら……。

 

 

 

 

いや、それ私の前回記事「引退詐欺がどうしてダメなのか」を見たSHINのポエミーコメントじゃねぇか!!!!!!

 

どうして引退詐欺が駄目なのか

 

単純に応援していた人の気持ちを踏みにじっているから。

……に尽きる話だが、中には

「おかえり~」と歓迎ムード全開だったり、

意見を言おうものなら「涙返せ、お金返せ、時間返せって言ってる人居るけどそんなん費やした自分の自己責任じゃん。」と逆に攻撃してくる方もいる。

 

 

まぁ正直インターネットの世界に足を突っ込んでいると、引退宣言をしてもひょっこり戻ってくる人を見かけることは少なくない。慣れてしまってる人は多い。

ただ、だからと言って黙認するべき内容でもないと私は思う。

 

 

 今回、私がこの記事を書こうと思ったきっかけがある。

件の引退詐欺師が戻ってきて数日後、引退を発表した配信者が出た。

もちろんそれを聞いたリスナー達はなにかを察する

「大丈夫?それ休止のほうがいいんじゃない?」

「戻ってきたときヤバいよ?」

「すっごく叩かれるよ?」

コメントが凄い速さで流れる。

ただ本人は確固たる理由をもって引退を決意したみたいでリスナーが心配するようなことは無さそうに見えたが配信者は次のようにも発言した。

『まぁでも戻ってきてもある意味面白くておいしいかもなぁ~』

 勿論この発言は冗談で、本当にそんなことするような人ではないと思う。(初めて枠見に行ったけど。おい絶対すんなよ。)

 問題は引退詐欺が「慣れ」を通り越して「面白い」と認識され始めているということだ。

 そもそも宣言というのは言わば「決意」というもので、簡単に「放棄」していいものではない。だから今回で言う「配信引退します。さようなら。」「やっぱり帰ってきました。ただいま」という行動は人間として信用がならないのだ。今一度引退詐欺が引退詐欺と言われている由縁を書き起こそうと思いこの文章を作成した次第である。

 

 

 

 

 序盤にも書いた引退詐欺の擁護とも捉えられる

「費やした時間・お金・涙は自己責任だろ」というツイート

はっきり言って私は違うと思う。引退詐欺は景品表示法違反のようなものだからだ。

 

 

 

 物事の価値というのはその精巧さで決まるわけではないと私は思う。

例えば、あなたの最寄り駅の休憩所に1枚の絵が飾ってあるとする。誰が描いたかもわからない風景画。

普段だったら目にもかけずそのまま椅子に座り、スマホをいじるだろう。

ただ、その絵が「ゴッホ作」だと分かったらどうだろう。自分でも知っている画伯の風景画。スマホの電源を切り、近くに寄って見てみるかもしれない。

 さらにそれが「ゴッホが死ぬ一週間前、病床の窓から見ていた風景を絵にした。」という情報があったら?

果たして最初にその絵を見た印象と今は同じだろうか?最初に「なんか空の色が独特すぎん?」と思っていても「そうかこれはゴッホが死期を予感して見た空の色なんだ」と自分で良いように解釈にしてしまうのではなかろうか。絵の上手い下手なんて関係ない。ゴッホの死ぬ前の絵ということが大事なんだと思う。

 

このように、物事の価値はそのクオリティだけではなく、その物の状況・背景といった付加価値が合わさって初めて価値として世に出るものなのだ。

 

 

では、その付加価値とはどういうものか、

「季節限定」「期間限定」「一品限り」といった「ここで逃したらもう手に入らないんじゃないか」と買い手に思わせられるものが魅力的なんだと考える。更にそれが時間的制約が狭いほど効果的だ。

 

買おうか買わないか悩んでいる商品があるここで店員に「これ、この1枚で最後なんですよ」と言われたらどうだろうか。

好きなアーティストのラストコンサート行きたいか、行きたくないか・・・と問われたらあなたはどう答えるだろうか。

よって、「最後」という言葉は特に人を惹きつける最強な付加価値なのだ。

 

 

さて本題。これを配信者に置き換えてみよう。

 

「何月何日にHAKUNAを引退します。最後の日まで仲良くして欲しいです。」

 

「引退枠は○時から行います。最後に楽しい思い出を作りましょう!」

 

「○○の枠で△△という企画に参加します!最後の参加になるので1位になってみたいです!応援お願いします!」

 

 

 

応援しているリスナーは配信者からの「最後の」お願いなら勿論叶えてあげたいだろう。

 

最後の日まで少しでも多くの配信を聞くために時間を割いて、企画が投げ銭イベントだったら課金してTwitter等で宣伝が必要そうならリツイートはもちろん、必要ならば動画や画像も作成するだろう。なぜならこの配信者とやり取りができるのはこれで最後だから。

 

 

また、「最後」という引力は、そこのリスナーじゃない人も巻き込んでいく。

 

「○○くん引退するんだ。昔少し絡みあったし、ちょうどその日空いてるから枠見てみようかな。」

 

「△△の企画でるんだ。最後なんだし無理のない程度に応援しようかな。ギフトも余ってるし投げてみようかな」

 

こうして「最後」という付加価値がついた配信は一気に注目を浴びることになる。  沢山の人から「最後だから」と応援された企画やイベントは好成績で終えることが出来ただろう。そしていよいよ最後の配信。

 

  配信者は涙を流し感謝の気持ちを丁寧に伝える。普段より口が回らないかもしれない。笑いでいったら通常回の方が上かもしれない。ただ、それでも許される。なぜならこれが最後の配信だから。聞いているリスナーが寂しい気持ちをグッとこらえてこれまであった出来事が綺麗な思い出として昇華出来たのであればそれで良いのだ。

 

 

 

ただ、その思い出がどうだろう。

数ヶ月後にひょこって戻ってきて復帰枠と称したもので、引退枠の音源を流してケラケラ笑っていたら。大事に大事に囲っていたものがトンカチで叩き割られる気分にはならないか?  

 

「最後」と聞いて、作った時間があった。

「最後」と聞いて、投げたギフトがあった。

「最後」と聞いて、流した涙があった。

 

それを本当に「費やしたのは自己責任」で片付けられるのか。手放しで「おかえり」と歓迎できるだろうか。「複雑」という気持ちがやはり残るのではなかろうか。

 

自分自身に「最後」という最強の付加価値をつけて売り出したのに数ヶ月後に「最後じゃないです。戻ってきました」は、やはり詐欺と言われてもおかしくないのではないか?

 

以上、これが私が考える引退詐欺が引退詐欺と言われる由縁だ。

 

 

最初にも言った通りインターネットをしているとこういった事象は少なくない。 最初こそ、とやかく色んな人に言及されるが、時間経てば誰も言わなくなるだろう。ただそれは言われなくなっただけであり軽率な行動をしたという事実は消えない。自分を貫いて楽しくやるのは大いに結構だが、少し自分が行った行動を見返す時間も必要なのかもしれない。